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宝性院 (古河市) : ミニ英和和英辞書
宝性院 (古河市)[ほうしょういん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たから]
 【名詞】 1. treasure 
: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
古河 : [ふるかわ]
 (n) old river
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [し]
  1. (n-suf) city 

宝性院 (古河市) : ウィキペディア日本語版
宝性院 (古河市)[ほうしょういん]

宝性院(ほうしょういん)は、茨城県古河市久能にある真言宗豊山派の寺院。山号を谷中山、院号を宝性院という。葛飾坂東観音霊場の第十四番札所。この霊場は宝性院の住持・秀伝和尚により、正徳4年(1714年)に創設されたもので、この寺が札元となっている。〔『総和町史 民俗編』 466頁(観音堂)〕 〔『総和町史 通史編 近世』 392-393頁(町内の寺院 久能村・松本剣志郎 執筆)〕
== 歴史 ==
永和 2年(1376年)10月の開基とされる。明和 7年(1770年)3月に久能村が関宿藩に提出した書き上げによると、正徳4年(1714年)以降は古河市柳橋にある龍蔵院の末寺になる。正徳4年は、住持・秀伝が葛飾坂東観音霊場を創設した歳で、この寺も第十四番札所、札元となる。嘉永 6年(1853年)10月2日、当時の住持・賢明が死去した後は無住となった。〔 〔『葛飾坂東観音霊場の考察と札所のご案内』 15-19頁(秀伝和尚の住寺「宝性院」)〕
明治 3年(1870年)に新政府が行った寺籍調査でも無住とされ、弘道という名の留守居同心者がいた。また、本尊は大日仏、境内地が二千坪、檀家が51軒だった。旧桜井村により作成された『社寺多台帳』によれば、境内には本堂・観音堂・庫裡・不動堂があり、境内の外にも大日堂があったが、明治初期の廃仏毀釈のため寺は荒廃し、のちに本堂・庫裡は売却、大日堂も観音堂に合併された。現在は檀家によって維持されている。〔 〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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